なめすぎに注意

 最近までなめとこ山の熊さんのことをずっと、蜂蜜に手を漬けてはひたすら舐めているくまのプーさんの日本版だと思ってました。実際のところ両者にはお互いが熊以外であることを除いて何ら関係性があるわけではなく、むしろ、なめとこ山の熊さんは大変理知的な動物であり、可愛らしさを売りにするくまのプーとは一線を画するわけです。



 ところでこのくまのプーからイメージできるものに、ちょっと前巷で話題になったプー太郎という言葉であり、そのプー太郎とニートとではほぼ同じ意味を指すのにも関わらず、何故にニートだけは辛辣な評価を下されているのだろうかと思うと、ちょっぴりニートに同情してしまうのです。くまのプーから何でプー太郎が?という疑問はさておいて、ここではプー太郎とニートの違いについて語りたいと思います。


 プー太郎といえば、「うちの子?プーよ、プー。まったくどうしようもない子だわ」と、ある種の優しい目で見られていたのにも関わらず、ニートといえば、「うちの子?・・・ええと・・・、その・・・、ニー・・・ニー・・・。」と、ある意味、禁忌の様相を帯びた、まさに口に出すことさえも許されない、触れてはならない汚点のようなイメージじゃないですか。両者とも実際に指し示す意味の上では大差がないのにも関わらず、何故にイメージするものがこうまで違うのか。


 そこで思うのは言葉の響き。ニートへの風当たりが厳しいのは、きっとその言葉の響きからじゃないかなと思ってしまうわけです。


 では実際にニートという言葉を口に出して言ってみましょう。
ニート」「ニート」「ニート
・・・何かこうネバっとしたような、納豆をかき混ぜたあとに引っ張った時のようなあの感覚が思い起こされはしないでしょうか?さらに、「ニート」という言葉を少し落ち込んだ調子の声で発音してみてください。問答無用でさらに落ち込めます。このようにニートはその言葉の素質から見ても、陰険で暗澹とした、何かこう不気味な感覚を呼び覚まします。


一方、プーはといえば。
「プー」「プー」「プー」
発音してみましょう。10回ほど繰り返す内に、顔の筋肉もほころんでくることでしょう。連想させるものがプーで屁(プー)だからです。ためしに怒った調子の声でも発音してみてください。次に、鏡の前に立ち、もう一度先ほどと同様に発音してみたください。おそらく、自分で自分の顔を見てニヤニヤできるはずです。このようにプーは、その言葉の響きからも、悪いイメージが付き纏うものではないという事が分かると思います。「プーしちゃってだめねぇ」といったような赤ちゃん言葉があるように、プーは可愛らしいもの、愛されるものとして存在しているのです。



要するに、ニートを「ニート」というのではなく、彼らにも新しい素敵な名前を考えてあげたほうがいいと思うのです。落ち込んでいるよりも、活動的になれるような名前を当ブログでは募集しています。