またしても・・・

「人間いろんな人がいていい」
金子みすゞさんでしたか、金八先生だったか、はたまた相田みつをさんだったかが言っておりましたが、確かにいろんな人がいて良いとは思うものの、悪いことするのだけは正直やめてほしいですね。
今回も大阪府寝屋川市の市立中央小学校に人が侵入し刃物で殺傷事件を起こしたそうで。
私的には、学校は開かれた教育をする空間であり、誰もがそこに自由に出入りできなければならないと思うのですが、こういった事をされるとまずいのです。
「誰もが入れるからこういう事件がおきてしまうのではないか!」という意見があたかも正論であるかのようにとられてしまいかねません。
しかし、よく考えれば分かることなのですが、学校への出入りを厳重にしたところで何も変わらないのです。事件が起きた原因を改善しなければ、どんなに対策を変えようとも、また同じような事件は起こるのですよ。セキュリティーシステムの会社が増えても、犯罪が減らないように、その根底にある部分を理解しなければ事は何も進まないのです。まさに、フーコーの言う、”犯罪が監獄を必要としているのではない、監獄が犯罪を必要としているのだ”という言葉が微妙にぴったりですね。

ゆえに私は、次々と起こる小学校への犯罪よりも、こういった意見が平然と通ってしまう現状の方を危惧しています。学校の監視が実際に成果をあげることによって、監視の有効性が擬似的に証明されることの方が、より社会全体にとって危険性を増すことになるのです。
つまり、監視の有効性が実証された結果、我々の生活の細部にまで監視の目が渡ってくる可能性は高くなります。学校という小さな公的空間からはじまり、町という大きな公的空間へと犯罪防止のため監視対象が移ってくるわけです。そういった社会では、町中が監視の対象となり、個々人の動き一つ一つが巨大なデータサーバーに蓄積されてゆく。統計学と心理学の発展の結果、犯罪者の動きに似ている者はそれだけで予備軍とされマークされてしまう。非常に暮らしにくい社会です。しかも、このデータを管理するのは善良な人間だけであるという保障はどこにもありませんから、悪用されたら一貫の終わりなわけです。
だからこそ、今すべきことは監視を強めるのではなく、その原因となるものを究明することではないかと思うのですが、どうなんでしょう。余談ではありますが、日本の監獄はどうも、犯罪者の更正を重視して、何故その犯罪が起きたのかを十分に検証しないまま、犯罪を犯した者を社会復帰させている気がしてなりませんしね。
私が学校を多くの人に開放するべきだと言うのも、そこで学ぶ子供達に社会とは今どうなっているのかを生で触れ、体験してもらいたいと拙者は思うからなのででござるよ、薫殿。見ず知らずの誰かに監視され守ってもらう社会が良いのか、自分で監視し、また周囲の人間と協力し監視してゆく社会が良いのか。それを自分の目で確かめ、選択してもらいたいのです。


PS: 今日は普通過ぎたので、明日はたぶん壊れてます。(ぉぃ