50にして天命を知る

孔子の有名な言葉に、「我、50にして天命を知る」というのがありますが、私の天命とは何だろうとふと考えてみるのです。



果たしてこの先、何をすべきだろうか。何を成すべきだろうか。
そして、どう生きるべきだろうか。
人生に迷える子羊な私ですが、既に他の羊の群れとは離れた場所に一人ポツンと体育座りしていたため、私だけ取り残されてしまっているのです。
こうしてふと周りを見渡してみると、おやおやどうでしょうか。私と同じように取り残されてしまった子羊が多々いるではありませんか。
彼らもまた人生に悩んでいるのでしょう。
みんなみんな、私と同じように体育座り。


ふと前を見れば、汗水たらして土木作業をする羊。額の汗を拭きながら、一生懸命にセールスを続ける羊。ふんぞり返って、タバコを吹かす羊。
いろんな羊が見える。
そして、さらにその奥には、狼の姿も見える・・・。
ずいぶん年老いた狼ばかりだが、中には若い狼もいる。
これに気づいてる羊もいれば気づいてない羊もいる。
でも、みんな今を生きることに必死で、誰も協力して狼を追い払おうとはしない。
誰かが食べられても、見て見ぬふり。
ある人は言う。「これが社会だ」と。
でも、そんな社会は果たして本当に社会といえるの?
みんな疑問に思うけれど、誰も口には出さない。




そしてまた、誰かが食べられた・・・。


それを見ていた私は、怖くて怖くて走って逃げた。
逃げて逃げて、小高い丘の上まで来た。
「ここまで来れば狼は私に気づかないだろう・・・。」
そう思い、再び羊たちが暮らす街を見下ろした。もちろん体育座りで、だ。
しかし、街を見た私は愕然とした。
そこに見えたのは、羊でも狼でもない。あの、リヴァイアサンだったからだ。


「もう座っているわけにはいかない。」
誰かがそっと耳元でささやいた気がした。
霧に隠れていてよく見えないけれど、誰かが、そう誰かが立ち上がったんだ。