しかして孔子は何を言いたかったのか?

一口に「50にして店名を知る」といっても……、おっといけない。「おれ、50になるまであの店の名前、全然知らなかったぜぃ!」なんて事もありそうでなさそうな事だが、……それは置いといて、この命題に対し、はてな人力検索に面白い質問があったのでそこをポイントに話を進めていこうと思います。
http://www.hatena.ne.jp/1115895435はてなの質問)


さて、この質問では”孔子のこのような考え方(「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」)は現代社会に於いて有効だと思うか?”というテーマで始まっていました。ちょっと横道にそれますが、こういう質問はきっと、我々日本人の先祖である明治時代の人達もしていたかもしれませんね(笑。「これは現代(明治時代)においても有効なんですか?と」。
話を元に戻して、有効か?有効でないか?どちらかそれは分かりませんが、私的な意見を述べれば、私はこの考え方は有効であると思っています。
では何故に有効なのでしょうか?
確かにこの通り人生を送る人なんて稀でしょうし、おそらく地球上を見渡してもほとんどいないでしょう。言葉通りに受け取れば、人生とはこんな風に上手くいくわけがない = ”有効でない”となるはずです。そう、言葉通りに受け取れば・・・の場合です。



そこで孔子の時代の人々にとって、この年齢は言葉通り当てはまるのか?といった点を考察してみることにします。
当時の中国の平均寿命を考えてみると(もちろん正確な数値が分かるはずもないので、ここでは予想の数値です)、おそらく30〜35前後だったのではないかと思われます。あるいはもっと短かったかもしれません。ただしこれはあくまでも平均寿命だということ。実際に孔子は73歳まで生きていますし、だからといって孔子だけが長生きで、仙人のような存在であったわけでもないでしょうから、それなりに身分が保証されている人はこの辺りの年齢まで生きていたと考える方が妥当でしょう。そうです、いつの時代も早く死ぬのは一般庶民なのです。
そしてもう一ついえば、孔子はそのような一般庶民の為に教えを語った人ではないということ。むしろ、貴族や上流階級のような身分の高い人たちが社会で生きてゆく時、庶民に対して模範的存在となるための教えを語った人です。言い換えれば、君子の器を持つ者のみに教えを施す価値が生まれると。ゆえにこの「50にして〜」という言葉も、もしかしたらそういった人たちを相手に語った言葉なのかもしれません。


とはいえ、「50にして天命を知る」のはともかくとしても、「60で耳したがう」というのは、当時の年齢状況を考えてもやはり遅すぎる気がします。その頃になれば社会の中で上手くやっていけるといわれても、死んでる可能性の方が高いんですから。
ならば、「年齢を今の水準に合わせてみればいいではないか、よいではないか!」だとか、二倍年暦なら合っている!とか言うつもりは毛頭ありません。問題はそこではないと思うのです。要するに、年齢云々の話ではないということです。



思うに、ここで使われている15、30、40、50、60、70といった年齢は、その言葉の通りの内容を意味するものではなく、人生の流れを語るために持ち出した表現だったのではないかと。つまり、どの人でもこの年齢になったこうなる・・・といった絶対的な見方ではなく、あくまでも相対的な見方として人生を捉えていたのではないでしょうか。
人の寿命は本当に人それぞれですし、一概にこの年齢になったらこうしろといえるものでもありません。もちろんそのことを孔子もまた十分に熟知していたはずです。しかし、人生の流れをあらわすにどうにも説得力のある上手い言葉が出てこなかった。そこで年齢を持ち出し、人生の流れを作った、と。
だから、極端な例かもしれませんが、24で立つ人間がいてもいい。30にして天命を知る人間がいてもいい。逆に、50にして立つ人間がいてもいい。80にして天命を知る人間がいてもいいと言えるのです。それがその人の人生なのですから、早かろうが遅かろうが、そんなことは元より”私”とは関係無いことなのです。大切なのは他人に惑わされず、自分の人生をしっかりと生きるということ。
これらのことから、現代においても孔子のこの考え方は有効であるといえるでしょう。