その男、列島を駆け抜ける

株でもうすぐ一億達成!からライブドア20万3000株全力信用買!で大損こいて一気に地獄に落ちた日記。 - livedoor Blog(ブログ)



ライブドア株に手を出して痛い目に会った人が日本全国に多数おられるようです。
上記のURLにあるBlogの運営者も、そういった人たちの中の一人。


なんだかとてもカワイソス・・・




と、素直に思えない私はひどい人間だ。
ぶっちゃけ、ライブドア株で大損した人たちに、”がんばれ、次がある”なんて言えないし、言いたくもない。むしろ、”次なんてあっちゃいけねーよ”とだけ思う。
というのも、株を買う多くの人たちが、何を持って株を買おうとしているのか?という点が、これまで余りにもおざなりに成り過ぎてはいないか?と思うからだ。株(が存在すること)の目的とは、「素晴らしいアイデアがあるのに、それを実現するための資金が無い(足りない)”他”の人(or法人)にアイデアを具現化させるための資金を提供する」ことが第一義の意味であって、”私”の金儲けの為に株を買うというのは第二義、いやそれ以下であろう。


ところが今では、本来ならば第二義以下であるはずの、この”私”の為に株を買うという人が後を立たないように感じる。まるでゲーム感覚とでもいえばいいのか、お正月のカルタ取り?のようにしてデイトレーダーをこなす人たち。
「先生、儲けましたー!」と学校の授業か何かで嬉しそうに手をあげる小学生。それを徒に誉める先生。ネオニートや主婦、果ては小学生までが投資の技術を学ぶと題して、実は”私”が儲けるための方法を学ぶというのだ。
なんと大それたことか・・・。



いっそのこと株なんて無くなってしまえ。
株さえなければ人の金に対する欲望も、これほどまで無闇やたらにかき乱されずに済むだろう。
そうだ、無くなってしまえ。
株なんか消えてしまえ。





・・・ほんと、そう思う。


しかし、野口健の言葉を微々っと引用して言えば、


「そこに欲望があるから」


これに尽きるだろう。
株という、僕らの中に確かに存在する”ありとしあらゆる欲望を満たしてくれる魔法の紙切れ”があるから、僕らはただひたすらそれを得る事だけ見つめて、産卵に向かうあの鮭のように全速力で突っ走るだけなんだ。途中で捕まって殺されても、焼かれて食べられても、クマのヒヅメに腸を削りとられても、一心不乱に紙切れを追いかける。


何故だ。
そこに幸せがあると信じているから?
いや、違う。
そこに楽があるからだ。
そしてこの楽は、信じる信じないのレベルでは語れないものであること。ホリエモンや三喜谷氏が示してくれたように、信を致すことを遥かに凌駕した、現象的な存在として彼らがボクらの前に現れたからだ。自前のジェット機を乗り回し、憧れの六本木ヒルズの中で仕事をし、美味しいものを食べ、綺麗な服を着て、人の中で戯れる。まさに常夏の楽園ベイベーがそこにあった。
思えば、過去、僕らのご先祖様たちは、現世で徳を積むことによって後世の幸せを夢見ていた。今では、その夢が現世でも実現できることをホリエモンたちはボクらに教えてくれた。株という確かに存在する魔法のような紙切れで、本来ならば後世でしか果たせないはずの夢の楽園が目の前に想像された。


そうして欲望は現実味を帯びた希望の光に変わった。
その妖艶な光を放つ希望を、誰が責めることができるだろうか。
また、そこへ飛び込む人たちを、誰が責めることができるだろうか。
多勢に無勢、言うは難しじゃないか。
だからこそボクらにできることは、自己の為のみに生きることではなく、他者との共存を考えて生きることのみではないかと思う。くもの糸よろしく、みんなで一つの天国目指して突っ走れば、喧嘩にもなることをそろそろ理解するべきだ。社会全体がマスコミを通じて、株を買おうという方向に傾くのは、オメガ危険なことじゃんと。


今回のライブドア、および株に関する事件の教訓は、きっとこういうことなんじゃないかと思い、筆を鼻に挿してメモってみた次第です。