ブラックジャックを見る


 手塚作品がとりわけ好きだというわけではないものの、ほぼ毎週見てしまっているのが、月曜夜7時から放送されているブラックジャックです。内容はソフトなものからハードなものまで、大の大人が見ても考えさせられる内容が多いのが手塚作品の特徴であり、それはこのブラックジャックにもよく当てはまるわけです。
そんなブラックジャックの物語の中で繰り広げられるディープな世界観とピノコの意味不明な言動には、もうメロメロなのです・・・。さらにこの世界観に優しさの彩りを加えるのが、エンディングに流れるEXILEの曲、「careless breath」です。渋く切ない大人のカクテルが味わえます。しかしこの曲、アニメのエンディングシーンではこんなに聴けるのに、まだ未発売なのが残念なところ。


話は脱線しますが、このようにテレビのドラマやアニメでは既に流れているのに、曲が発売されてなくて聴けない〜〜っという状況って昔から全く何も変わってないんですよね。最近だと白夜行の主題歌の「影」(歌:柴咲コウ)がもうじき発売されますけど、これだってドラマの開始から1ヶ月は経っている。
これに対して、曲を買いたいなと思うときの強い衝動って、ボクの場合が特殊なのかもしれないけれど、その曲を初めて聴いた時から1、2週間前後くらいまでだったりするんですよ。それなのに実際に曲が発売されるのは1ヶ月後であったり・・・。酷いときなんてドラマも中盤に差し掛かる2ヵ月後とかだったりする。こうなるともう、買う気が失せるというよりも他の曲に目移りしちゃう時期になってしまう。
これだけインターネットが普及しオンデマンドが叫ばれる中、欲しいときに欲しい商品が手に入らないというのはどういうことなのかと(笑。流通屋さんの利益のために犠牲になる部分はあるとしても、もう少し早く何とかならないかなあと思ったり。



さて、話を元に戻して、そんなブラックジャックを見ていてふと気が付いたことがあるのですよ。それは何かというと、スタッフクレジット、つまりアニメの製作に関わった人たちの名前に、やたら中国人の名前が目立っていたということ。といっても、作っているのが中国人だから駄目だとかそうことではなく、ここで問いたいのは、今のアニメはブラックジャックもそうであるように日本以外の国で製作されていることが余りにも多いということです。
これには、アニメ製作には莫大な金がかかるから海外の安い労働者を使って作り、そこで浮いたお金から利益を上げるという構造が見え隠れしているわけです。


しかし、本当にそれでいいのでしょうか?
アニメとは戦前から日本が培ってきた芸術の集大成であり、そして今では諸外国から認められている一つの立派な文化です。そういった文化にまで市場原理を持ち込む必要はあるのでしょうか?


確かに日本人のスタッフを雇うということは非常にお金がかかることです。けれども、それ以上に得られるものが大きいのも事実です。そこで得られるものとは目先の金銭ではなく、より素晴らしい作品を自国から、日本という国から生み出せる技術です。お金は一瞬で生み出すことができても、技術は一朝一夕にはいかないのです。 


にもかかわらず、その技術を蔑ろにするという風潮が現在の日本には多々見られます。金銭至上主義というのか、誠に残念な風潮であると思います。そしてこういった風潮が生み出されることになったのは、特にマスコミによる影響が大きい。「やれ投資しろ、やれ勝ち組になれ」と、まるで自分達が時代を支配したかのように国民を煽ってきたマスコミ。しかしながら、その責任を問い詰める人は誰もいません。それもそのはず、最大の伝達方法であるテレビ等のメディアを支配しているのは彼らなのですから、自分たちの失態を改めて国民の眼前で反省するなどという行為はしないでしょう。彼らに鎌倉武士の精神が少しでもあることを祈るばかりです。



そんな訳でして、私は日本のことが心配なのです。ロシアには未だ領土を返してもらえず、中国には無茶な要求を突きつけられ、韓国には竹島をよこせと言われ、その上アニメという日本が世界に誇る文化まで、わざわざ日本人の手で自ら献上しなくても・・・と思うのです。


それにしてもあれですね。今の自分の身も心配しなくてはいけないのに、日本の心配をしている自分ってやっぱり平和ボケの典型的な日本人なんだなあと思いますが、それでもやっぱり心配なものは心配なのですから仕方ないですね。


江戸時代がそれに近かったように、日本で再び「let it be」でいける日は来るのかな?
全てはボクら、若者の頑張り次第ですね。

中島みゆき、ふぁいと!