奇跡のネコミミ


 最近の俺はなんと言うか、とても疲れている。
仕事場では上司に怒鳴られ、部下からはお茶の1杯もついでもらえず。家に帰れば何事にも手厳しい女房に、この甲斐性なしとにがうりで叩かれる。そんな不安定な毎日を俺は過ごしている。これでは疲れてしまうのも無理はないだろうと思いつつ、そんな悲運な境遇にいる自分を、仕事帰りの途中にある喫茶店、ブゥーニーでコーヒー1杯を飲みながら慰めている。


 コーヒーが尽きかけてきた頃、ふと窓の外を眺めた。外ではいつの間にか雪が降っており、あたり一面が街灯に照らされ、白く光っている。この美しい光景に心癒されることもつかの間、俺は驚愕の事実に気付き、悲鳴に近い声をあげた。


「うへぇ!」


周囲の客が何事だとこちらに振り向く。・・・まずい。明らかにまずい。この状況をどうしたら彼らに分かってもらえるだろうか。俺は咄嗟に自慢の営業スマイルでニタっと笑って見せた。もちろん白い目で見られた。が、こうするしかなかった。余りにも恥ずかしくなった俺は、財布から1000円札を取り出し、それをテーブルの上に投げ捨てその場を逃げるようにして立ち去った。



キモイ奴と思われただろう。
変態だと思われただろう。
こんな、こんなピンク色のねこみみを頭につけたサラリーマンなんて、どう考えても怪しすぎる。世界のどこを探しても、そんな奴は恐らく俺しかいないだろう。
「あぁ、なんという事をしてしまったんだ・・・。」
自分のアラレモナイ姿を晒してしまった事に対し、言いようの無い不安が俺を襲う。もしもこんな姿を社の連中に見られたら、きっと会社もクビになるだろう。そう思い、俺は天を仰いだ。
その時、小さな雪が顔にぽつりと落ちてきた。
「・・・いや、ちょっとまてよ。」
俺の中に冷静さが戻ってきた。そもそもこのねこみみは一体どこで手に入れたのだ?それにいつ付けたのだ?全く覚えていないぞ。おかしい、おかしいじゃないか。やっぱり俺は疲れているのか。そうだ、あれはきっと幻覚なんだ、いや幻覚に違いない。疲れているからみえた幻覚なんだ。人気の少ない横道に入った後、俺はポケットから取り出した手鏡でもう一度自分の頭の状態を確認した。



「・・・やはり疲れているのだろうか。」



俺の頭には、喫茶店で見たのと同じように、ピンク色のねこみみが確かにあった。どこからどう見てもねこみみだ。間違いない。以前、秋葉原で見たことがある、あのねこみみだ。絶望とはこんなにも身近にあるものなんだと、この時はじめて実感した。
呼吸を整えると、俺は頭に乗っているねこみみをむんずと掴んだ。こんなもの付けて俺は一体何がしたかったのだろう、そう思いながらねこみみを引っ張った。


「・・・とれない。」



やっぱり疲れているんだ・・・。
激しく疲れているんだ・・・。
余りにも非現実的なこの光景に、俺は現実逃避を決め込むことにした。確かにネコミミを掴んだという感触もある。この目にもしかと見えている。だがしかし、それでも説明ができない・・・。強く引っ張ってもびくともしないという現実が今ここにあっても、納得がいかない。
俺はそのまま家に帰ることにした。




家に着くと、女房が玄関先でまごまごしていた。こういう事は前にも何度かあった。恐らく、妻は家の鍵を持っていくのを忘れたまま外に出たのだろう。オートロックとは便利なようで不便なものだ。俺の姿を見つけると、妻は駆け足で迫ってきた。
「ずいぶん遅かったじゃない。早く開けてよ。」
「すまない。」
何故か誤ってしまった。男とはなんと情けない生き物だろうかと思う。俺は内ポケットから鍵を取り出し、彼女に手渡した。
「ほんと甲斐性なしなんだから・・・。」
手渡した瞬間、彼女のそんな声が頭の中に聞こえてきた。
「甲斐性なしで悪かったな。」
「?」
妻が、何故かきょとんとした顔でこちらを見ている。何かおかしな事でも言ったのだろうか。いつもの応答だったはずだが・・・。
「・・・私、そんな顔してたかしら。」
妻は訝しげにそう言うと、玄関へと歩いていった。


「さて、夕飯はあと2時間後くらいになるかな。それまでプロ野球ナイターでも見るとするか。」
俺もまた彼女のあとを追って、玄関へと向かっていった。