どうしてそんなに焦るのだ

JR福知線の脱線事故から、今日で4日が経ちました。
事故の原因は、おそらくスピード超過で、時間厳守を気にした運転士の焦りから来たのではないかと見られている。
ここまでして、焦らなければならない理由があるとすれば何だろうか。


日が経つにつれ、徐々に明らかになってきたJRの職務実態。
秒単位の遅れに対して、執拗に迫られる尋問。
さらには、電車を遅らせた運転士へのいじめもあったという。
どうしてここまでするのか?
その答えとしてJRが出したものは、過密するダイヤに対応するため、であった。
しかし、それと尋問・いじめは何の関係があるのだろうか。
全く持って理解に苦しむ。


正直、この報道を聞いた時には愕然とした。
まさかこれほどの大会社であっても、こんな事をしているのかと。
怒りよりも先に、呆れて何もいえなくなった。
大切な自社社員の、大切な彼らの心を傷つけてまで、得なければいけないものなんてあるのだろうか。
事件が起きる前、JR西日本の社員に配られていた通達というものがあったらしい。
そこには、利益の確保という文字が一番上に書かれていた。
このために、この利益のために、多数の犠牲者が出たのだとすれば、何と悲しい事故なのだろうか・・・。


金は持ちすぎても、少なすぎても良くない。ほどほどがいいというのが私の考えだ。
そりゃ、たくさんあるならあるに越したことはないだろうけれど。
だが、あればあったで、今度は心が盲目になる。
金はもちろん生き物ではない。
しかし、生き物を虜にする力を持っている不思議な物体だ。
ゆえに、この力をControlする事ができないと、人は金に支配され、心は盲目になってしまう。
だからこそ、金は慎重に取り扱わなければならない。


日本が、世界が目指した資本主義による豊かな社会は、そんな基本的なことすら忘れてしまったのではないだろうか。
過剰な豊かさが堕落した人間を造りだし、堕落した人間は至上の楽を求める。
己の楽を追及するためなら、どんな犠牲をも厭わない。
そして、今回のJR西日本における脱線事故だ。
会見に出てきたJRのお偉いさん方は−もし心中がそうでなかったら申し訳ないが−、心から謝るというよりもむしろ、己の保身、今後の己の身の振り方についてのみ考えているように見受けられた。


どこかでこの流れを断ち切らなければならない。
23歳の若き運転士と100名を超える犠牲者の命を無駄にしてはいけないと思う。
そしてもう一度、現代社会について、一人一人が考え直さなければならない時代に来ているのだとも思う。
その昔、日本に来日したマザー・テレサが、この国のために残した言葉がある。

この国は、富に溢れている。
しかし、心は貧しい。


あの頃の私たちは、目の前にそびえる巨大な富で盲目になっていた。
しかし、その富の幻も消えた今なら、開眼し、理解できるのではないだろうか。
テレサの言う本当の富の意味が。
それとも、私たちの目は、もう潰れてしまったのだろうか。