よりリアルになるゲームと、その裏で・・・

Xboxの新型が先日発表されたと思ったら、今度はあの会社が動いたようです。
そうです。ソニー・コンピュータエンタテインメントプレイステーションの新型についてのカンファレンスを行ったそうです。
遂に、待ちに待った(?)プレイステーション3の発表ですね。
そして任天堂も、Nintendo revolution(だったかな?)を遅れてなるかと発表。
つまり、ここ数日の間でゲーム業界を代表する各社が、立て続けに次世代機を発表してきたわけです。



しかし、これが私には
「ゲーム業界が倒れるまで」
へのカウントダウンのように聞こえてなりません・・・。
もっといえば、今まで小さ過ぎて聞こえてこなかった崩壊までのカウントダウンが、今はっきりと聞こえてきたように思えます。




では何故、崩壊へのカウントダウンなのでしょうか?
その理由を簡潔に言ってしまえば、「室井警視!我々には犯人を追うだけの時間がありません!」といったことが挙げられると思います。
いやいや、時間だけではないかもしれませんね。
お金も、人材も、時間もといったほうが、より的を射ているかもしれません。


ゲームの制作には膨大な資金が必要である、ということを知っている方は多いと思いますが、ゲームのデバッグにも膨大な時間が必要であるということを知っておられる方は少ないと思います。
たとえば、RPGのゲームを6ヶ月で作ったとすると、このゲームのデバッグにはそれと同じくらいの期間が必要になるのです。
これが昔のゲームであれば、デバッグ作業はまだ楽だったことでしょう。
何せ、ゲーム全体の容量もROMカセットの容量以内と限定されていましたから。
要するに、”ハードにできる事の限界”が今と比べると極端に小さかったんですよね。


それに引き換え、今はどうでしょうか。
ハードが進化すると共に、”これまでできなかった事が可能”になったのです。
たとえば、ファミコン時代であれば、雲は一枚の背景グラフィックスとして再現されてきました。
しかし、今では雲を一枚の背景グラフィックスとして作成することは稀ではないでしょうか。
特に3Dを駆使したゲームであれば、まずもって雲は動く雲になっていると思います。


このような技術革新が、動く雲、流れる雲といったものを生み出し、ゲームを遊ぶ私たちの目に高い刺激を与えてきました。
しかし、それと共に制作者側には、制作時間・資金の限界性といった問題が生じたのです。
つまり、雲を作る制作時間・資金は、ドット絵でそれを描いていた頃に比べ、爆発的に伸びた・上がったのです。
もちろん作るのは雲だけではありませんから、ゲーム全体としてみれば、「トンデモナイくらい作るのが大変になった」のです。
さらに、このような限りある制作時間・資金といった問題が、その限られた時間の中でどこに面白さを詰め込むのかといった、ゲーム制作が有する根本的な問題までもを製作者側は突きつけられる事になります。
それはつまり、
1 グラフィックの美しさか。
2 プログラムの芸術性か。(ゲームの面白さ)
3 シナリオの面白さか。
大きく分ければこの3つで成り立っていたゲームが(2,3は適当です。(汗)、”1のグラフィックの美しさ”にどうしても比重を置かなくてはならなくなったということ。
これまで、2、3に振り分けられていたはずの制作時間が、この1のグラフィックの美しさに集まったわけです。
結果、面白さを詰め込むための時間は大幅に短縮されることになり、ただ美しいだけの何がしたいのか分からないゲーム、いわゆるクソゲーを大量に生むことになってしまった。


そして現在。
プレイステーション3のグラフィックは映画のクォリティに近づいている。いやむしろ、映画と対等に渡り合えるかもしれない程のクォリティを出せることがカンファレンスでも強調されていました。
機械の方は大幅な技術革新を果たしたようです。
しかし、人間に与えられた時間は変わりません。
そしてもちろん、資金にだって人材にだって限度はあります。
さあ、どうするのでしょうか。
このままいけば間違いなく、ゲーム業界は多くの人々から見捨てられることになるでしょう。
確かに絵は綺麗だけれど・・・、内容がマンネリじゃん・・・。
と斬って捨てられるかもしれません。
ブシドーブレードのように。(窓から投げる、が正しい捨て方。まあ、一応弁護しておくと、私的には面白かったです。私的にはですが。)
なにせ遊ぶ側は、製作者側に課せられた”限られた時間”なんて気にしてませんからね。
そして私が何よりも懸念するのは、ゲーム制作に今以上の莫大な資金が必要になる時代が来るのではないか?ということです。
今でさえ数千万〜1億は当たり前なのに、これ以上膨らんだら・・・。
ゲームが一部の大手企業しか作れなくなった時、その時こそ、新たな名作にも出逢えない、愛すべきクソゲーにも出逢えない、普通のゲームが量産される時代が来るのだと思います。
今、確かにそのカウントダウンが、カチッカチッという音を立てて聞こえてくるのですよ。






とはいえ、もちろんこのカウントダウンをとめる方法もあるのです。
たとえば、ソニータイマー











(・ω・)




まあ、それは冗談として、
経営者は製作者を注意深く見ること、それが問題解決への糸口になると私は思います。
宣伝活動のためか、どうしてもユーザーである視聴者への表現に経営者側は目を向けがちです。しかしここはぐっとこらえて、ゲームを作り出す製作者の方へも目を向けるべきではないでしょうか。
もっと具体的に言うならば、表現できる技術(ディスプレイから視聴者への表現)の進化と共に、イメージを形にする技術(製作者からディスプレイへの表現)も進化させなければならないということ。
経営者は、ゲームの製作者たちがイメージしたものを彼らが形にしやすいように環境を整備しなければならないと思うのです。
クリエイターにとって必要なのは、個人に割り当てられたプライベートが守られるブースではなく、そういった働きやすい労働環境よりも何よりも、自己のイメージを簡単に表現できる洗練された技術環境なのです。
すなわち、短期間でイメージを再現できる技術の整備。


ゆえに企業は、特にハードの制作会社は、クリエイターのイメージをより簡単に再現しやすくできるように、そういった事を可能にするソフト面の開発を強化・努力すべきです。
そして、その努力を怠るならば、ゲームの中に面白さを詰め込む時間はどんどん減っていき、ひいては、ただのいじれる鑑賞ソフトにゲームは変化してしまうことでしょう。


いずれにせよ、このように製作者側にたって見てゆくのであれば、きっと面白いゲームが多々生まれる可能性が広がるのではないでしょうか。そして、そういった面白いゲームが増えることこそが、この業界全体の成長、発展に繋がってゆくのではないかと思います。

イメージを簡単に具現化できるようになれば、個人でも次世代機でゲームを作れる可能性が出てきますし。そうなるといいな、という願いを込めて。