蒼天己死、黄天当立、歳在甲子、天下大吉

思い起こせば乱世の機運高まる1990年代初頭、あのソニーがゲーム業界に飛び込んできたのがはじまりだった。
当時、ゲーム業界は西の任天堂、東のセガ、小国ではあるがコアなユーザー層をかかえ込むNECSNK。そしてピピンアットマークでゆれるバンダイに、松下の3DOと、かつて日本を恐怖の底に陥れたアタリ党の平定に功績を挙げた、彼ら諸侯が各地に配置されていた。
そんな中、特に目立った功績を挙げたわけでもないソニーが、この業界に殴りこみをかけてきたのだ。ソニーはポリゴンがどうたらとか、3Dがなんだとか言い、民衆を大いに惑わした。


このソニーの傍若無人な態度に対し、真っ先に腹を立てたのがセガだった。
セガは早速、各地に散らばった諸侯へ檄文を飛ばした。が、シカトされた。
怒ったセガは、ソニーとの直接対決を目論み、SNKバンダイNECと手を組む等して自社の勢力拡大に努めた。そういえばワープという会社もあった。が、それはまた別の話である。


さて、最も強大な勢力を誇る任天堂はといえば、この両者がいがみ合う様子をまじまじと見つめ、自らは独自路線でゆこうと決めていたのだった。というのも、任天堂には秘策があったからだ。その秘策とは、「ゲーム業界3分の計」である。
しかしこの策は、後にゲーム業界最大の決戦とも言われる「赤壁の戦い」で危うく失敗しそうになる。


90年代半ば、任天堂の策により、セガがついにソニー討伐の旗をあげた。
迎え撃つは、赤壁
今、決戦の幕が下ろされようとしていたのだった。
まずセガは、自社の役員である湯川専務自らの身体を傷つけることによる苦肉の計を用い、罠満載のセガサターンドリームキャストプレイステーション陣営に放った。
しかし、この苦肉の計は簡単に見破られ、逆に大量の火矢を浴びた湯川専務は、セガサターンドリームキャストもろとも沈没してしまう。



かくして任天堂の「ゲーム業界3分の計」は失敗に終わるかのように見られた。
だが、勝負はまだ終わっていなかったのだ。
遥か東方から、船に乗ってやってきた軍団がいた。
米の巨大企業、マイクロソフトである。
そして、マイクロソフトの会長、ビル・ゲイツは言った。
「このマシィ〜ンが、世界をヒックリ返スデス」





今、また新たな風が、この国に吹き荒れようとしていた・・・。