ぼくらの街、秋葉原

さて、秋葉原という街を俯瞰してみると、一種の巨大なテーマパークのようなものが見えてくると思います。もちろんテーマパークの入り口には"萌え”系の大きな絵が掲げられ、中に入ればメイドさんが出迎えてくれる。それが秋葉原です。ただし表向きですが。
実は、この”萌え”にもちゃんと裏がある。この萌えを裏から支えてくれているのが、数多くの電化製品たち。これが秋葉原の裏の顔です。昔は表に出ていた秋葉原の電化製品たちは、時代の流れと共に裏へ裏へと引っ込んでいきました。


80年代前半、「ジャパンアズナンバーワン」という言葉がアメリカのエライ学者さんによって叫ばれ、バブル経済という前代未聞の好景気に浮かれた日本人は、欲しいものはみんな買ったという雰囲気でした。テレビもビデオもラジオも、衛星放送のアンテナもゲーム機も掃除機も洗濯機も冷蔵庫も何もかも、金さえ出せばなんでも手に入りました。
秋葉原もまたその影響を受けました。次々に売れる電化製品。作っても作っても生産が追いつかない。本当に、こんなに売れていいんだろうかという時代でした。


それから数年後、日本のバブル経済ははじけました。街には夢を失った日本人で溢れかえり、生きてる事がつまらない・むなしいといった風潮が広まっていったのです。
そんな時でした。
人々に勇気を与えるコンテンツが現れたのです。
それが”萌え”です。
萌えは、傷ついた日本人の心を癒すために立ち上がったのです。


この萌えが持つ力にいち早く気付いたのが、秋葉原の電化製品たちでした。
彼らはこの力を認め、萌えと手を組む事を考えました。
ただし手を組むのには一つだけ条件がありました。その条件とは、秋葉原の街で主役を演じる権利を萌えに譲渡すること。有力な電化製品の中には、「萌えなんかに譲れるか!」といった頑固じじいのような意見を持つものもいましたが、「萌えてもいいじゃないか、いいじゃないか」という秋葉老中の意見により、萌えへの主演権利の譲渡が行われました。
そうして出来上がったのが、今の秋葉原なのです。





2005年8月、秋葉原


強力な癒しの力を持つ萌えが、この街を包み込んでいる。
ドン・キホーテモスバーガー、ガストにペッパーランチ、じゃんがらラーメンは前からあったけど、大きく変わりゆく街、秋葉原。今後、萌えや電化製品たちは、この街の為にどんな決断をするのだろうか。


情報化社会の最先端を行く街でありながら、そういった社会が持つ矛盾点を鋭く指摘している萌え。秋葉が萌えている限り、近未来的な荒廃した都市の風景がこの街を覆うことはないだろう。