アイスボンボン、スッポンポン!

ひろしには悪いことをしたが、そのボンボンは私がもらったものなのだ。ボンボンは既にふたつにわっており、そのうち片方は半分までちゅぱちゅぱしてある。もう片方においては、先端を完全に舐めてある。これらの行為は、決して映画版のタッチに出られなかったからとか、レイザーラモンHGが結婚したからとか、竹島に日本人記者を含む数名が韓国経由で乗り込んだとか、そういう類への嫌がらせ的なものではなく、純粋にただひたむきにアイスボンボンの争奪にかけては負けられないものが私にはあったがためなのだ。
家に帰れば腹を空かせて泣いているやや子がいる。
この子らの為にも、私はこと、アイスボンボンの争奪においては負けられぬのだ。


「ええい、手を離せ!ボンボンだ、ボンボンに触れさせろ!」


今日もまた、街のどこかしこでアイスボンボン争奪戦に破れた敗者の泣き喚く姿を見た。
ボンボンなくしては生きられぬ世の中だ。すなわち、勝負に負けることがそのまま死へと直結する社会である。それゆえ、勝負に負けた者が賞味期限切れの捨てられたアイスボンボンに群がる姿は、この街ではもはや珍しいことではない。
「あさましい」
その言葉では片付けられぬ壮絶な世界がここにはある。
たかがボンボン。
されどボンボン。
くわえてもボンボン。
おしりに挿したら一等賞。
今日もまた、ボンボンを求めて私は行く。